教育改革
佐賀藩の躍進を支えたのは「教育改革」だった。
直正がまず力を入れたのが藩校「弘道館」の充実。幼少期から薫陶を受けた儒学者古賀穀堂(1777~1836年)の教育に関する意見書「学政管見」に基づく形で、敷地を3倍、予算を7倍にした。財政難にあえいでいた当時の藩にとって、思い切った政策だった。
弘道館は、現在の小中学校に当たる通学生の蒙養舎と、高校・大学に相当する寄宿制の内生寮、通学制の拡充局で構成。明治以降に確率する学制の先取りともいえる教育システムだった。
上級家臣から手明鑓と呼ばれる下級武士まで全藩士の子弟の入学を求め、優秀な成績を収めれば身分にかかわらず抜てきすると明示。家格で役職が決まる当時の門閥制度に風穴を開ける改革だった。一方で25歳までに「免状」を得るなどの成果を収めなければ、家禄を減らし、役人に採用しないとした厳しい「文武課業法」を制定し、徹底して勉学を推奨した。
佐賀藩が力を注いだ「人への投資」。時代の変化に柔軟に対応できる多様な人材の育成により、北海道開拓に貢献した島義勇、後の日本赤十字社の創設者佐野常民、学制や民法制定に関わった大木喬任、司法をはじめ諸制度を構築した江藤新平、総理大臣を2度務めた大隈重信らを輩出した。

<資料>
佐賀藩の藩校「弘道館」で使用された教科書
(県立佐賀西高所蔵・県立博物館寄託)