医療改革
直正は医療改革にも力を入れた。
世襲が当たり前だった医者に免許制度を初めて導入。また、不治の病だった「天然痘」の根絶を目指し、1849(嘉永2)年、侍医の大石良英らに命じ、嫡子淳一郎に種痘を試した。これが日本における牛痘による予防接種の始まりとされる。自らの子に種痘を試すことで、その効果と信頼性を世に示し、種痘普及の流れをつくった。

<資料>
「直正公嗣子淳一郎君種痘之図」
(昭和初期、県医療センター好生館所蔵・県立佐賀城本丸歴史館寄託)
10代藩主の鍋島直正(後方左)が見守る中、淳一郎(後の鍋島直大)に種痘を接種する侍医の大石良英らの姿を描いている。