- 2度の総理大臣
- 大隈重信 (1838~1922年)
明治政府で大蔵卿など要職を歴任、太陽暦の導入や鉄道施設、貨幣制度の整備に力を注ぐ。内閣総理大臣を2度務め、日本初の政党内閣を組織した。東京専門学校(後の早稲田大学)を創設するなど、新時代の教育にも情熱を注いだ。
- 司法制度を近代化
- 江藤新平 (1834年~1874年)
下級武士層に生まれ、貧困をばねに才能を発揮。明治政府に出仕すると、法整備などを担って近代化を進めた。参議・司法卿となるが、急進的な立場をとり政変で下野。「佐賀の乱」で征韓党首領に担ぎ出されて敗れ、処刑された。
- 外交政策に手腕
- 副島種臣 (1828年~1905年)
勤王家枝吉神陽の弟で、早くからの尊王攘夷思想に目覚める。維新当初の法整備や外交政策を担当して明治政府内で頭角を現し、外務卿などを歴任。新時代の到来に理想を掲げ、日本の近代化を支えた。「蒼海」と号し、書家としても名高い。
- 日本赤十字社創設
- 佐野常民 (1822年~1902年)
佐賀藩の理化学研究所「精煉方」の主任として科学技術導入に取り組む。佐賀藩が参加したパリ万博、明治政府が初出展したウィーン万博で出展責任者を務め、産業・文化の振興に貢献。人道主義思想も紹介し、日本赤十字社を創設した。
- 北海道開拓の父
- 島義勇 (1822年~1874年)
鍋島直正の命を受けて幕末の北海道を探査。明治政府では北海道開拓使判官となって札幌の市街建設に手腕を発揮した。後に秋田県権令などを務めるが、「佐賀の乱」で政府軍に敗れ、江藤新平とともに斬罪となる。
- 東京遷都を提唱
- 大木喬任 (1832年~1899年)
明治維新で江藤新平と東京奠都論(東西両京論)を唱え、民間出身の初の東京府知事に。その後、初代文部卿となり、現在に続く学制の基盤を作った。明治半ばまで司法大臣、元老院議長、枢密院議長などを務め、政界で活躍を続けた。